『ぐるりのこと』のこと
- 出版社/メーカー: VAP,INC(VAP)(D)
- 発売日: 2009/02/25
- メディア: DVD
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舞台は90年代の日本。主役は、木村多江とリリー・フランキー。この2人は夫婦で、零細出版社に勤めるしっかり者の木村多江と法定画家でゆるゆるしているリリー・フランキー。この夫婦とそれをとりまく10年間を追った物語。
めんどうくさいけど、いとおしい。
いろいろあるけど、一緒にいたい。
正直最初の30分くらいは退屈で、よくある雰囲気だけのアーティスティックな邦画かと思った。とんだ勘違いだった。ほのぼのした雰囲気から、徐々に暗雲が立ち込めて、気付いたら陰鬱なトンネルの中に。重厚な内容が押し寄せてくる。見終わった後は複雑な気持ちだけど、確かなやさしい気持ちが芽生えてる。そんで、見て良かったなと素直に感じることができる。そんな映画だと思う。140分くらいあって、若干冗長な印象を受けたとこもあったけど、最後まで見る価値がある。劇的な転調やイベントは起きないけど、それでもダイレクトに心をハックされるような力があると思う。
舞台は90年代で、法廷画家であるリリーさんを通して、実際に90年代にあった重大事件の裁判が描かれる。現実の裁判を踏襲しているんだろう裁判シーンは、現実的な重さとエンターテインメント性が危ういバランスで表現されていると思う。この法廷のシーンは人の多様さ、そして主役夫婦との対比を感じる上で重要な意味があるんだろう。
とにかく木村多江がすごい。綺麗なのはもちろんなんだけど、何というかふり幅が尋常じゃないなと思う。とっても素敵。あとこの映画はあんまり音楽が流れないんだけど、後半に流れる音楽がストーリーとも相まってとても良く感じた。全部ひっくるめて、名作っていえると思う。この一本で、いろんな感情を味わうことができた。そういえば『ぐるり』っていうのは、『まわり』のことらしい。
今日も読んでくださってありがとうございます。あなたのぐるりはどんな感じですか??
この春はゆるふわ愛されのっぽパンでキメちゃおう☆
急に何かを思い出して、懐かしくなることがある。昨日久しぶりに、それが起きた。のっぽパンである。のっぽパンとは何か?僕は静岡出身なんだけど静岡県限定で売られていた菓子パンのことである。どんなのかと言うと、細長いコッペパンにクリームが挟まれたパンなのである。パッケージにはキリンのイラストが描かれている。まあ何てことのないパンなんだけど、僕はのっぽパンが好きだった。小中高とのっぽパンを食べ続けていた。似たような菓子パンはいろいろあるんだけど、のっぽパンには独特の、そして秀逸なおいしさがあった。生で食べても勿論おいしいんだけど、僕はトースターで焼いて食べるのが好きだった。そういえば、のっぽパンは長いから半分に切らないとトースターに入らなかった。こののっぽパンと言うやつは、静岡県の人なら多分みんなが知ってる。静岡県に県パンがあるとしたら、きっとのっぽパンだと思う。
こんなのっぽパンなんだけど、大学生になって東京に出てからは当然食べることがなくなった。実家に帰ったときにコンビニで見かけて食べていたくらいだろうか。まあ、好きだったけど熱狂的に好きというわけでもなかったから。そんな風にのっぽパンと距離をとりながら生活していた大学2年のとき、のっぽパンの生産が終了した。そのときに、「もうのっぽパン食べられないんだなー」と物悲しく感じたことを良く覚えている。それから、実家に帰っても、コンビニでのっぽパンを見かけることは無くなって、いつしか僕はのっぽパンのことを忘れていた。こんな風に、好きだったあの娘のことも忘れるときがくるのかもしれない。それはちょと寂しいなあ。すこし話がそれてしまったんだけど、ここで話は冒頭に戻る。昨日ベットで横になっていたら、本当に突然、のっぽパンを思い出したのである。そして、懐かしくなって今日これを書いている。
そして、これを書いていたら僕とのっぽパンの関係が2年ぶりに疾走し始めた。のっぽパンを明確に思い出すためにググッたんだけど、なんとwikiにのっぽパンがのっていた。
wikipedia:のっぽパン
そう、どうやらのっぽパンが復活しているようである!!!!!(限定的みたいだけど)のっぽパンを再び食べることは不可能でない。のっぽパンを手に入れるための冒険が、今、始まる。
本日も読んでくださってありがとうございます。機会があればぜひご賞味ください。
新年明けまして
おめでとうございます。おひさしぶりです。といってもここを定期的に見ている不思議な方はいらっしゃるのでしょうか。もしいたとしたら、その方の度量の深さは五臓六腑に染み渡りますね。染み渡ると言えば、僕は良く味の染みた豚の角煮が好きなのですが、今年はまだ角煮始めをしていません。
前回の更新から今日までいろいろなことがありました。ありましたね。皆さんはいかがでしたか?年末には1年の総決算をして、年始には新年の目標を立てたのでしょうか?そして、既にその目標を霧の彼方になくしてしまったのでしょうか?今日は1月24日です。ちょうどいい時期ですね。そう、2010年2回目の目標を立てるのに。新年の目標シーズン2。僕は立てようかなと、思います。2010年はシーズン18以内に抑えられたらいいなーと考えています。
読んだ本の内容を片っ端から忘れていることに、最近気付きました。どうしたものか。顕在意識では忘れていても、潜在意識でしっかり覚えていて、血に流れているといいな。おもしろい本をたくさん読みたいもんです。脈絡を2009年に置き忘れてしまったのかもしれません。
なにはともあれ、何かの縁でこれを読ん下さっているあなたの2010年がexcellent なものになりますように。
今日もありがとうございます。
その日、ぼくは静かに、午後の時間を消し飛ばした。
昼寝をしすぎて一日が終わった。
今日もありがとうございます。
お前には・・・
「お前には無理だよ」と言う人のことを聞いてはいけない。
もし自分で何かを成し遂げたかったら、
できなかったときに、他人のせいにしないで、
自分のせいにしなさい。
多くの人が、僕にも「お前には無理だよ」と言った。
彼らは、君に成功してほしくないんだ。
なぜなら、彼らは成功できなかったから。
途中であきらめてしまったから。
だから、君にもその夢をあきらめてほしいんだよ。
不幸な人は不幸な人を友達にしたいんだよ。
けしてあきらめては駄目だ。
自分のまわりをエネルギーであふれた、
しっかりした考え方を持っている人で固めなさい。
自分のまわりをプラス思考の人で固めなさい。
近くに誰か憧れる人がいたら、
その人のアドバイスを求めなさい。
君の人生を変えることができるのは君だけだ。
君の夢が何であれ、
それにまっすぐ向かって行くんだ。
君は、幸せになるために生まれてきたんだから。
まっすぐな言葉だけど、好きだ。
読んでいただいてありがとうございます。
極東学園天国
- 作者: 日本橋ヨヲコ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1999/12/03
- メディア: コミック
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時は近未来。舞台となる高校・私立五色台学園は、一度入学すると卒業まで外に出れない、隔離された全寮制の高校である。問題児が集まるこの高校に、主人公・平賀信号(ひらがしんご)が転校してくる。
設定は学園物。全4巻で、大きく2部構成になっている。1部が、食券をかけた学年別対抗戦編。2部が、学園存続騒動編。これだけでは何の話か全くわからないかもしれないけど、心配ゴム用。登場人物の心理や、人間関係の揺らぎに本作の魅力があると思う。
モラトリアムという言葉は少し恥ずかしさを含む気がする。自分はモラトリアム中だと公言できる人はあんまりいないだろう。不安定な時期に、不安定な自分に、正面から向き合うことのある種の気持ちよさを、本作は味あわせてくれる。
本作は、青春(こう書くのも少し恥ずかしく感じてしまうけど)をまっすぐに捉えた作品だと思う。しかしその青春の描き方は、ウォーターボーイズやタッチみたいな青春物と一味違う。湿度の高い青春物とでもいえばいいのか。そして、暗い熱さみたいなものがある。これは決してネガティブな意味ではない。そこに、魅力があるのだ。
設定も、内容も決して現実的なものではない。だが、まぎれもないリアルを感じとることができる。
台詞回しもキレキレである。
嫌だなぁと思うこと
そのままにしてたら
たましいいが腐るから
数あるエッジのきいたセリフの中の一つ。本作は、人によっては中二病かと感じられるかもしれないが、それは違う。中二病が斜に構えて世界を見るのだとしたら、本作は突き抜ける程に正面から世界を見ているのである。その点が決定的に違う。
個人的には、城戸先輩という登場人物が素敵だと思う。
濃厚な魅力の詰まったマンガです。オススメ。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。もう師走ですね。
ワイルド・ソウル
- 作者: 垣根涼介
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/10/28
- メディア: 文庫
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- 作者: 垣根涼介
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/10/28
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尊敬する方に薦めていただいて読了。文庫本で上下二巻の大作。『ワイルド・ソウル』は単なるエンターテーメントか、それを超えるのか。
1960年代、外務省の移民政策によって多くの日本人がブラジルに渡った。移民先にあったのは、文字通りの地獄だった。外務省の政策に騙され、移民者は言葉もわからない密林のなかで過酷な暮らしを強いられることとなる。
移民者のひとりである衛藤は、絶望と貧困の極限状態の中ブラジルを生き抜いていった。時は現代に戻り、衛藤と仲間たちは政府に対しての復讐を開始する。
以上のようなストーリーで、最初の4分の1くらいが過去のブラジルの話、後の4分の3が現代での復讐劇といったような構成。注目すべきは、過去のブラジル編、そして全体を通した登場人物の心理描写だと思う。
過去のブラジル編について。外務省の移民政策は史実に基づいているのだが、その陰惨さは言語を絶する。国家としてのモラル(笑)と言わざるを得ない。勿論、国としての論理や不可避な部分もあるだろう。しかし、他にもやり方はあっただろう。
人は極限状態でどう行動できるのか。それを考えさせられる。衛藤のブラジルでの体験は、絶望と貧困の極限である。そこで何を考え、どう行動することができるのか。タレブのブラックスワンという本の中にこんな一節があったことを思い出した。【結末を決めるのは偶然だ。私たちにできるのはただ、尊厳をもつことだけだ。】言うは易しだが、そうありたいと感じる。
登場人物の心理描写も示唆に富む。この作品では、日本人の心理とブラジル人の心理が対照的に描かれている。恐らくその大きな違いは、自我の範囲である。日本人的自我が自分に限定的なのに対し、ブラジル人的自我は自分のいる世界を包む広がりがある。日本人が小さく考えるのに対し、ブラジル人は大きく考える。大きく考えるからこそ、ブラジル人は心に余裕をもって生きられる。世界を愛することができる。
正直、一長一短はあると思うし、ブラジル人と同じ思考では日本では生き残っていけないだろう。それでも、この作品を読んでブラジル人との思考の違いを感じ、自身の思考をいま一度内省してみることは有意だと思う。
ちなみに、『ワイルド・ソウル』は物語としても十二分に面白い。スピード感溢れるエンターテーメントだ。大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞の、史上初の3冠受賞を成し遂げているらしい。極限状態にある人や、現在の自分を窮屈に感じている人には一読の価値あり。そうでない人も楽しめます。悪しからず。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。最近寒いです。お身体にお気をつけください。